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杜に想ふ 雨乞ひ祈願 神崎宣武

令和7年08月25日付 5面

 本稿を執筆してゐる今日は、八月七日。立秋である。
 二十四節気のひとつであり、中国から伝来の暦法であることは、それなりに知られてゐるところだらう。だが、立秋といへども、暑さが続く。とくに、今年は、日本列島全体が異常にして深刻な暑さである。
 各地で、水枯れが問題となってゐる。すでに一カ月以上も、ほとんど雨が降らない地方も少なくない。水田が渇いて、稲穂が枯れる虞がでてきてゐる。といふところで、「雨乞ひ」の行事が復活した、といふニュースも伝はる。
 雨乞ひについては、本紙でもふれたことがある(令和四年七月二十五日)。その時も、とくに関東甲信では、渇水を恐れる事態であった。私は、全国に分布をみる「竜王山」に注目し、竜王神(龍神)を祀っての雨乞ひを紹介した。
 雨乞ひでは、全国でさまざまな行事を数へる。龍神を祀るのは、その一例にすぎない。その他、大別すると、「お籠り」「雨乞ひ踊」「千駄焚き」などの数種になるやうだ(柳田國男監修『民俗学辞典』による)。それは、昭和六十年代の状況を分類したものであるから、現在ではなじまないものもある。そして、以後の民俗学では、なぜだか雨乞ひへの注目度が乏しい傾向にあった。
 最近、それは神事に限らないことを知った。
 真言宗僧侶の知人と、神仏習合の時代の共通、あるいは共同の行事について話してゐた時のことだった。彼は、真言宗にも雨乞ひの「大般若経会」がある、といふのだ。大般若経を正月の修正会と雨乞ひ法要などにだけ転読する寺もある、といふのだ。日本では多様な雨乞ひ行事がおこなはれてきた、そのことを再認識したしだいである。
 また、私の郷里である吉備高原(岡山県)の北、中国山地の南端に位置する哲西(現、新見市)の知人は、次のやうな事例を知らせてくれた。
 「竜王様を祀った小さな祠の前に皆が集まって太鼓や鉦を叩きながら雨乞ひの祈祷をした。それでも雨が降らなんだら、枝木を集めて千駄焚きをした。それでもまだ雨が降らなんだら、大山(鳥取県)まで行って、渕の水をもらってくる。途中で休むとそこに雨をとられる、というて何人かが交代しながら休まずに持って帰り、その水を田に撒いた。さういふ話を、祖父さんからよく聞かされたもんぢゃ」
 このやうに、いくつもの方法を重ねて用ゐることもあった。それが現代によみがへる、とまではいはない。しかし、今年ほどの過酷な日照りと渇水は、その速やかな鎮静を神仏に祈願するしかないのである。
 私も、過日の八朔(夏祭)で、雨乞ひ祈願の一文を加へた祝詞を奏上したことである。
(民俗学者、岡山・宇佐八幡神社宮司)

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