杜に想ふ
盃 八代 司
令和7年08月18日付
5面
判で押したやうに「今年は終戦八十年」と耳にする。そして「昭和百年」といふこともあってか、若い人たちには「エモい」と「昭和レトロ」が人気となり、ノスタルジックを感じさせるデザインの生活雑貨が再注目されてゐる。イメージとしては昔、団地住まひの家庭の食卓に並んでゐた花柄の調味料入れや家電製品など。また喫茶店の固いプリンやクリームソーダなどもエモいといって近頃は人気を集めてゐる。
さてさて「エモい」とは文章表現がしにくい言葉だが、近頃流行りの「AI検索」によると「心が揺さぶられて何とも言へない気持ちになることを指す若者を中心に使はれてゐるスラング。とくに、切なさや懐かしさを含む感情を表すことが多い」と回答された。「感情的な」といふ意味の英語「エモーショナル」からとの説もあるといふ。
そのやうなことを考へてゐた六月、靖國神社にお参りした際、大塚海夫宮司よりの御挨拶で「今年は終戦八十年であり、昭和百年。そして日露戦争からは百二十年の年」とお聞きして、あらためてハッとさせられた。
それといふのは、能登半島地震で全壊した自宅の土蔵から昨年末に取り出せた品々のなかに、「日露戦争従軍」や「日露戦争凱旋」と記された多くの記念盃があったことを思ひ出したからだ。それらの品々は、衛戍地を金沢として置かれた帝国陸軍の第九師団とともに、わが家の歴史とも深く関係してゐる。
私の曽祖父は養子であった。「本来の跡継ぎは戦艦『三笠』で、東郷元帥の料理人をしてゐたから帰ってこない。そのため、他家へ嫁いだ高祖母が産んだ『種違ひの弟』をあらためて養子として跡継ぎに据ゑた」と祖母から幾度となく聞かされた。武功を伝へる数々の盃の詳細は不明だが、土蔵の古い桐箪笥の奥から取り出せた勲章とともに歴史を伝へる史料として市の博物館に一括して寄贈ができたことは本当にありがたかった。
といふのも震災後の整理は「一気にことが進んだ」といふより、「進めざるをえない状態」だったから。隣家に倒れかけてゐる土蔵の品々をボランティアの方々のお助けで片付けてゐる時は、瞬時に要不要の判断が迫られた。そのなかに多くの額縁があった。それらは表彰状や感謝状の類で、紐で縛られた額は中身を一々確認する気力も果て、「このまま処分して下さい」と言ったら、ボランティアスタッフから「また貰へばよいぢゃないですか」とすかさず声を掛けられて思はず苦笑した。
「戦後八十年」が枕詞のやうに附されたこの夏。世間では「戦争」のことを想ふのは、終戦記念日の八月十五日までが一般的ではなからうか。しかし、巷で日露戦争時の戦歿者慰霊についてはつひぞ聞くことがなかった。だとすれば、四十年後の英霊祭祀のことを思ふと、連日の暑さのなかにも、何かしら背中に寒ささへ感じる夏となった。
(まちづくりアドバイザー)
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