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論説 祭祀舞制定七十五周年 新作舞にこめられた思ひ顧み

令和7年07月21日付 2面

 神社庁祭祀舞指導者養成研修会が七月十一日から十三日までの三日間に亙り神社本庁を会場に開催された。
 その詳細は今後の紙面に譲るが、今年は昭和二十五年に神社本庁祭祀舞として「朝日舞」「豊栄舞」が制定されてから七十五周年の節目の年にあたる。当時、占領下の混沌とした時期にあって、祭祀の伝統継承と氏子崇敬者の宗教的意識・宗教的情操の涵養を願ひ、また荒廃した国民精神の振興と神社に対する崇敬の念の教化を目的として新たな祭祀舞が制定されたといふ。
 節目の年の祭祀舞指導者養成研修会にあたり、これまでの経緯などを再確認しつつ、祭祀舞を通じた斯界のさらなる興隆・発展に向けて決意を新たにしたい。


 祭祀舞の制定は神社本庁教学部調査課(岡田米夫課長)主管のもと、小野雅楽会が作曲・作舞を担当して進められた。「朝日舞」は明治天皇御製を歌詞とし、「豊栄舞」は臼田甚五郎の作詞による。昭和二十五年十一月二十五日に國學院大學で完成披露の発表会があり、翌日の講習会には全国から三十七人が参加。引き続き、各地でも普及のための講習会が開催されてゐる。
 その後、祭祀舞の教授は雅楽指導者養成講習会でおこなはれてきたが、昭和六十二年には祭祀舞研修会として独立。さらに祭祀舞指導者養成研修会と名称変更の上、そのほか祭祀舞講師研修会、祭祀舞普及研修会なども開催されてきた。さうしたなかで規程等が整備されるとともに、音源を収録したレコード、練習用のビデオ・DVDも製作されて祭祀舞の普及が図られてきたのである。
 現在、祭祀舞が制定された昭和二十五年とは社会そして斯界の状況は大きく異なる。ただ当時の先人たちが意図した祭祀の伝統継承、宗教的な意識・情操の涵養、国民精神の振興、神社に対する崇敬の念の教化などは、いよいよ重要性を増してをり、祭祀舞普及の意義もより大きくなってゐるといへるのではなからうか。


 近年、この祭祀舞の指導を担ふ神社庁の講師・講師補が減少傾向にあるといふ。祭祀舞講師は十一府県で、また講師補は三十道府県で不在となってをり、高齢化も進むなかで後継者養成が喫緊の課題となってゐる。
 そのやうななか神社本庁では昨年、祭祀舞を含む指導者養成研修会の受講に際しての「中堅神職研修の全課程を修了した者」といふ従前の条件を緩和。これまでも状況に応じて柔軟な対応を講じてきたが、今後は中堅神職研修を五日間修了してゐることなどを以て受講を認めることとした。
 また、祭祀舞講師体制の強化に取り組むべく、さうした指導者養成研修会への参加勧奨はもとより、地区研修会開催にあたっての助成金交付や、本庁講師・講師補の派遣などの施策案を検討。すでに中堅神職研修会で関連講義(座学)を実施してをり、祭祀舞についての理解促進にも努めてゐるといふ。
 もとより祭祀舞の習熟には長い時間が必要で、また日常的な神明奉仕のなかでは、自ら研鑽を重ねたり、研修会に参加したりすることが必ずしも容易ではない場合もあらう。研修会受講条件の緩和や講師体制の強化に向けた諸施策が、祭祀舞講師・講師補を目指す上での後押しとなることを期待したい。


 「豊栄舞」の作詞を担当した臼田甚五郎はかつて、その歌詞にこめた思ひについて述懐。神道指令下で神社が意気消沈するなか、神道の根幹にある民俗信仰など神まつりの伝統に思ひを致したことや、空襲で焼けた工場の廃墟のなかで萌え出づる草に目を留め、『古事記』の宇摩志阿斯訶備比古遅神に象徴される生命力への期待を感じたことなどを語ってゐる(『神社本庁祭祀舞の五十年』、平成十二年、神社本庁刊)。
 祭祀舞制定七十五周年の節目にあたり、戦後の混乱・荒廃から立ち上がらうとするなかで、神道の根幹や神まつりの伝統、自然の生命力を象徴する神威の発揚に心を寄せながら、祭祀舞を制定した先人たちの思ひを顧みたい。その上で、次回の祭祀舞講師委嘱年にあたる令和九年を見据ゑ、さらに次々回の委嘱年にあたる同十二年が祭祀舞制定八十年の節目にあたることを踏まへて講師体制の強化に取り組みつつ、祭祀舞の果たしてきた役割や意義、そして今後の可能性を改めて考へていきたいものである。
令和七年七月二十一日

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