論説
護国神社の課題と現状 「終戦八十年」といふ節目に
令和7年08月04日付
2面
本紙既報の通り、天皇陛下には、全国の護国神社五十二社において終戦八十年臨時大祭が斎行されるにあたり、特別の思召しを以て幣帛料を御奉納遊ばされることを仰せ出され、七月十日に宮内庁にて伝達式が執行された。
全国の護国神社に対して畏き辺りより幣帛料が御奉納されるのは、終戦十五年にあたる昭和三十五年、大東亜戦争で戦歿された英霊の合祀概了奉告の臨時大祭斎行の際を嚆矢とするが、以後は終戦二十年臨時大祭から十年ごとにおこなはれ、このたび八回目となる。昭和から平成を経た令和の御代においても、御歴代が護国神社に寄せられる大御心がお変はりなく承け継がれてゐることに感嘆の念を禁じ得ない。
○ 宮内庁の伝達式では、全國護國神社會の泉和慶会長(兵庫縣姫路護國神社宮司)、竹中啓悟副会長(千葉縣護國神社宮司)、面山浩康副会長(秋田県護国神社宮司)の三人が参内し、加地正人掌典長を通じて幣帛料を拝受した。
折しも本紙今号には、お三方のインタビュー記事が掲載されてゐるが、今回のありがたい思召しに接して、皆一様に天皇陛下が英霊に心を留めてをられることに感動の念を表されてゐる。
また、「終戦八十年」にあたり全國護國神社會が一丸となって取り組んだ、英霊への関心を喚起し護国神社への参拝を勧奨するためのポスターづくりでは、デザインや文言についてアンケートをとり、細部まで話し合ったこと、とくに若者を意識して作成したことが語られてをり、苦心の様が窺へる。
興味深かったのは、面山副会長が「若い方に主眼に置いたのは、やはり『八十年』といふことが大きいと思ふ」と述べられてゐたことである。大東亜戦争を「体験」として知ってゐる方がほとんど残ってゐない今日、終戦から七十年、九十年でもなく、「八十年」といふ節目には、他とは異なる意義・意味があると捉へられてゐる。単に区切りが良いからと言って十年ごとの記念事業を無難にこなさうとするのではなく、今この時に一人一人が実感してゐる時代感覚を大事にしながら物事を進めていかなければ、他者、しかも世代を異にする者には響かない。また、明治維新から敗戦までの「戦前」より「戦後」が長くなってしまってから初めての区切りでもある「終戦八十年」には、確かに十年前ともまた違ふ、固有の意義があるやうにも思はれる。
○ なほ、泉会長も言及されてゐるが、全國護國神社會に協力を仰いで昨年から本紙で連載してゐた「わが社の御祭神~勲功・遺徳を次世代へ~」は、同會加盟の護国神社全五十二社による御祭神紹介の記事が無事に揃ひ、このたび全國護國神社會編『この国を守った人たちのこと―護国の英霊・五十二篇の物語―』(神社新報社)といふ書籍として結実した。序文を寄せた大塚海夫靖國神社宮司が書いてゐるやうに、「それぞれの読者の郷里を代表する御祭神について書かれた本書は、英霊の奉慰顕彰の大切さについて共感を呼び、理解を深めるための格好の書であり、一人でも多くの若い方々に読んでいただきたい一冊」となってゐる。実際、竹中副会長が言ふごとく、「国家愛、郷土愛、それから各道府県の香り」や「各地の特徴」が感じられるはずである。
また大塚宮司は、「本年は、御祭神を直接御存じない方々が参拝者の圧倒的多数を占めるという観点から、靖國神社、護国神社にとって大きな節目の年」とも記した。然り。やはり「終戦八十年」には固有の意義があるのだらう。
○ 今回のインタビュー記事では、「海外戦歿者現地慰霊祭」をはじめとする護国神社による海外慰霊の取組みにも触れられてをり、その前途の厳しさは否めないが、その空気感、経験が御祭神に最も近い接点になるといふ竹中副会長の重要な指摘もなされてゐる。
護国神社における現在の課題は、「崇敬者である御遺族をどう繋げていくのか、そして新しい崇敬者をどう増やしていくのか」といふ二つだと泉会長は言ふ。護国神社において「慰霊祭祀」以外の通常の御祈祷をどう考へるべきなのか、遺族会事務局が護国神社に置かれるといふ事態、「同じ教学をもって当たっていく」といふことの必要性など、本インタビューでは護国神社の現状が浮き彫りにされてゐる。固有の意義を持つ「終戦八十年」の節目に当たり、神道人必読の内容である。
令和七年八月四日
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