杜に想ふ
その後の能登にて 涼恵
令和7年09月15日付
5面
昨年に引き続き、白山比咩神社さまの御理解と御協力を賜り、一般を対象とした神道行法錬成ツアーを開催することが叶った。その前後には、能登へと三度目の慰問に伺ふことができた。
今年も道の駅「輪島ふらっと訪夢」のそばにある、八十歳のおばあちゃんが営む輪島塗りの店を訪ねた。すると、一年前に本欄で書かせていただいた能登の復興に関する原稿が掲載されたあと、店を訪れたある方から「新聞を読んでやって来ました。頑張ってください」と声を掛けられたと話してくれた。
店内にはミシンで縫った鞄に加へ、お洒落な手編みの籠バッグも追加されてをり、新しい手芸品がずらりと並んでゐた。さらには自分も作ってみたいと集ふ地域の人々が増え、お教室まで開くやうになったといふ。誰かに何かを期待して待つより、自らできることをやっていく。昨年同様にその揺るぎない前向きな姿勢と進展にただただ頭が下がる。
この欄の原稿を読んで行動に移してくださった読者がいらっしゃるといふことも嬉しかった。発信することの大切さを改めて感じる一方で、一年を経ても街並みの被害の様子がさほど変はらぬ現実に胸が痛む。阪神・淡路大震災と単純に比較できぬ事情はあるにせよ、神戸出身の筆者の目に復興の歩みはあまりに遅く映り、歯痒さを覚える。人口や地理的条件など複合的な要因があるのだらうけれど、それでもなほ、一歩でも前へと進む速度をなんとか上げられないものかと祈らずにはゐられない。
滞在中、宿泊先で小さなコンサートを開いた。羽咋市・深江八幡神社の宮谷宮司が御家族とともに訪れてくださり、心温まる再会となった。七尾市の大地主神社、志賀町の小浜神社にも参拝し、今年も参加費の一部を僅かだけれど義捐金としてお納めした。
さらに、昨年の慰問コンサートにお越しくださった輪島の御夫婦の仮設住宅にもお邪魔した。現在、倒壊してしまった以前の家屋の四分の一の大きさで新居を建設中だといふ。新しい住まひを再び築く覚悟や土地と御先祖への思ひを語ってくださり、竣功の暁にはまた再会することを約束した。「能登は優しや土までも」まさにこの言葉を体現する人々が今もこの地で生き続けていらっしゃる。
帰り際に、御夫婦は嬉しさうに棟の外壁を指差した。そこには東京都文京区の小学生が描いた絵が一枚一枚掲げられてゐて、動物や魚や植物がカラフルに描かれてゐる。子供たちの絵が放つその色彩には、確かな希望の光が宿ってゐた。
輪島市役所に足を運んだ際にも、全国から届いた激励のメッセージが壁一面に掲げられてゐた。遠く離れた地からの想ひはこの地にまで確かに届いてゐる。
能登半島地震からの一日も早い復興を、心から祈って已まない。
(歌手、兵庫・小野八幡神社権禰宜)
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