論説
御内帑金の御献進 遷宮の歴史と本義を伝へ
令和7年11月17日付
2面
今号掲載の通り、天皇・皇后両陛下にはこのほど、第六十三回神宮式年遷宮の資として御内帑金を御献進遊ばされた。
昨年四月八日に天皇陛下より御聴許を賜って以降、本格的に始動した第六十三回の式年遷宮。今年五月には諸祭・諸行事の嚆矢として山口祭・木本祭が斎行され、令和十五年に予定される皇大神宮・豊受大神宮における遷御の儀に向けて、着々と御準備が進められてゐる。
今後、神社関係者にとっても関心の高い奉賛活動、とくに募財活動についても次第に本格化していくこととならう。さうした斯界における具体的な活動に先立ち、このたびの御内帑金の御献進となった。神宮の御事、とりわけ式年遷宮に寄せられる大御心を拝し、神社関係者としても神宮奉賛・遷宮完遂に向けて万全を期すべく決意を新たにしたい。
○ 式年遷宮に対しての御内帑金は、四年の延引を経ていはゆる反官半民で執りおこなはれた昭和二十八年の第五十九回式年遷宮に際し、昭和天皇が御献進遊ばされたことに始まる。以後、昭和四十八年の第六十回は奉賛会の設立直後に、また平成五年の第六十一回は奉賛会の設立に先立ち御献進の御沙汰があり、それぞれ遷御の儀の年まで続けられた。
このうち、御代替り後の平成元年には当時の藤森昭一宮内庁長官を介し、「昭和天皇の御心を心として、式年遷宮費に内帑金を献進します」といふ内容の天皇陛下(現・上皇陛下)のお言葉もあはせて伝へられたといふ。さらに前回、平成二十五年の第六十二回に際しても奉賛会の設立前から平成二十五年の遷御の儀の年まで、九度に亙って御内帑金の御献進があった。
昭和天皇から上皇陛下へと受け継がれた御内帑金の御献進。令和の御代替りを経て、今回は今上陛下による初めての御沙汰となった。第四十代・天武天皇の御発意に基づき、第四十一代・持統天皇の御代に第一回が斎行された式年遷宮。中世の一時中断や先にも少し触れた終戦直後の延引など、さまざまな状況に際会しながらも千三百年に亙る歴史を伝へてきた。そこには常に変はらぬ大御心があったことの尊さを改めて深く噛み締めたい。
○ 今回の式年遷宮については、昨年一月に「ご遷宮の準備が滞りなく進むことを願ふ」との聖旨を拝し、その聖旨を受けて神宮当局では具体的な次第に関する伺書を宮内庁長官に提出。四月には御聴許を賜り、神宮大宮司において式年遷宮の御準備を取り進めることとなった。戦後、神宮が国家管理を離れるなかで、式年遷宮があくまで大御心を体して斎行されるといふ本義を踏まへ、天皇陛下の御発意に基づき、御聴許を賜ってから正式な御準備に着手するといふ形が整へられてきたのである。さうしたことに鑑みても、これまで御内帑金の御献進が続けられてきたことのありがたさが理解されよう。
御内帑金御献進の御沙汰を拝して、久邇朝尊神宮大宮司は謹話を発表。その末尾は、「二十年に一度の式年遷宮を盛大かつ厳粛にご奉仕申し上げるべく、国民皆様のご奉賛を切にお願ひ申し上げます」と締め括られてゐる。天皇祭祀の最重儀である式年遷宮。もとより国民として、恭悦を以てその奉賛に努めていきたい。
○ 第六十一回式年遷宮の直後にあたる平成六年、『真姿顕現 伊勢神宮崇敬会の回顧と展望』と題する冊子が刊行されてゐる。伊勢神宮崇敬会設立四十周年にあたり、当時の櫻井勝之進皇學館大學理事長、澁川謙一諏訪大社宮司、幡掛正浩伊勢神宮崇敬会理事長による鼎談の内容を収録したものだ。崇敬会の回顧と展望に係る三氏の話は、遷宮奉賛や神宮制度是正問題などを含め多岐に及ぶ。その序文で幡掛理事長は、「ひと頃の神道人の間に符牒のやうにあつた神宮の真姿顕現といふ言葉は、埋火の如くわれわれの胸中に余熱を存し消へ去つてはゐない」との切実なる思ひを記してゐる。
それから三十有余年を経た現在、この三氏をはじめ終戦直後から斯界を牽引してきた先人たちの多くはすでに泉下の客となった。天皇陛下による御内帑金の御献進にあたり、式年遷宮の歴史と本義を今に伝へる大御心、そして神宮の真姿顕現に向けた先人たちの熱量を改めて顧みたいものである。
令和七年十一月十七日
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