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杜に想ふ いろいろな色のいろは 植戸万典

令和8年07月27日付 4面

 世相ゆゑ、よく買ふ菓子のパッケージから色が消失してしまった。正確には「色相」が消えたと云ふべきか。白も黒も色であることには違ひない。これもこの時代といふ歴史の象徴であらうと、わざわざ探して食べてみたが、おいしさも変はらなかった。
 色覚特性の当事者として、昔から「色」に関する話題には過敏だ。上の世代の方々には色盲や色弱、あるいは色覚異常と云った方がわかりやすいだらうが、菓子のパッケージのやうに視界がすべて白黒なわけでも赤と緑がまるで同一に見えるわけでもなく、歴史上に存在し続けてきた多様性の一例である。
 眼球の視細胞のうち錐体細胞が光の波長に対する受容体であり、極大吸収波長の異なる三種の錐体視物質の反応具合から目に入った光の波長を脳が解析することで「色」として知覚される。これが霊長類の持つ三色型色覚のおほまかな原理だ。色覚特性の多くはその錐体視物質のいづれかがマジョリティと若干異なった極大吸収波長であることで、異なる色覚を持ってゐるとされる。写真はホワイトバランスの設定が変はれば色味も違ふことを想像すればわかりやすいだらうか。なかには四種の錐体視物質を持つ少数派もをり、その場合はより細かく色を見分けてゐるやうだ。
 色覚特性が「障碍」となるのは、多数派の色覚を前提にデザインされた今の社会環境に要因のあるケースがほとんどだ。自然界では淘汰されてゐないのだから。信号機の三色も濃緑の黒板に赤チョークで書くのも、人間がさう決めただけで、変へられる。その解決を怠って少数派を排除するよりも、色ばかりに依存しない環境にしたほうが建設的だらう。
 それこそ「カラーユニバーサルデザイン」といふ設計思想だ。鉄道の路線案内図にせよ会議資料にせよ、なんとなく決めた色の違ひだけでは情報は十全に伝へられない。それは色覚特性に限ったことではなく、見易く整理された配色デザインは万人に有用だ。方々でガイドラインが示されてゐるが、極論、白黒グレースケールにしても伝はるデザインなら問題なからう。もし菓子のパッケージが白黒になって購入時に種類が見分けづらくなったと感じたとしたら、それまでどれほど色彩に頼ってゐたのか、といふことなのである。
 もちろん装飾的な部分の範囲なら美意識に任せて良いのだらう。深みにはまりかねないので自制してゐるが万年筆のインクを気分で使ひ分けるのは楽しい。皆が一律の色覚ではないからこそ、それぞれ己だけの色がある。
 さうならば、もし白地の中心に「緑色」の円を描いた布があったら、それは「国旗」になるのだらうか。国旗・国歌法で日章の円は「紅色」だと定義されてはゐるが、実際には細かなカラーコードまで指定されてゐるわけではない。色覚特性ではなくても色の知覚は人それぞれであることを考へれば、国旗への見方も人それぞれなのかもしれないのだ。
(ライター・史学徒)

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