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杜に想ふ 頑張った先 涼恵

令和8年10月12日付 5面

 人は、務めを果たさうとするほど、つい力んでしまふことがある。間違はないやうに。失礼がないやうに。期待に応へられるやうに。その真面目さが、知らず知らず無理を強ひてゐることがあるのだと気付かされた。
 二カ月ほど前、ある病と診断され、自分と向き合ふ時間をいただいてゐる。これまでと同じやうには歌へない時があり、息継ぎの場所が増えたり、送れる息が細くなったりする。初めは戸惑ひもあったが、新人に戻ったつもりで、今の身体で歌へる発声や表現を探る時間は、思ひがけない発見があったりと新鮮で楽しいものだ。
 芸能界に長くいらした先輩が、かう教へてくださった。「歌には、押しの歌と引きの歌がある。引きの歌を覚えると、息の長い歌手になり、ヒット曲を出す人もゐる」といふ。引くことで奥行きが生まれ、歌が立体になり、魅力が増すのだと。
 意図したことではなかったが、身体にかかった制限によって、自然と力みが抜けてゆく。抜けたところに、新しい表現が生まれ、ついつい力んでゐた己を知る。自分の力だけで届けようとするのではなく、聴いてくださる方の心に委ねる。ゆるめることの大切さを教はった。
 さういへば、注連縄も張り詰めてゐるばかりではなく、わづかな“たわみ”がある。柏手も、拳を握ったままでは打てない。掌を開いてこそ、澄んだ音が響く。
 先輩はさらに、かう続けられた。「病気になったことは、涼恵ちゃんにとっての式年遷宮なのかも。最近、お木曳や福娘の御奉仕で、伊勢によく行ってゐたし」。神宮の式年遷宮と、わが身に起きたことを重ねるなど、畏れ多いことではある。けれど、その言葉を聞いた瞬間、ハッと何かが繋がったやうな気がした。
 遷宮では、古くから受け継がれてきたものを守りながら、神様は新しい御正殿へお遷りになる。変はらないものを守るために、変はってゆく、常若の精神。
 畏れながら来年、涼恵の活動は二十五周年を迎へる。長年身についた癖は、さう簡単には抜けないけれど、大きく見せようとせずに自然体で。この病は、身体の移し替へを促すきっかけなのかもしれない。節目を前に、身体が教へてくれたのは「もっと頑張ること」ではなく、「少しゆるめてみること」だった。
 ふと、『古事記』の天岩戸の場面が浮かぶ。天照大御神がお籠もりになり、世が闇に包まれたとき、八百万の神々が集まり、智恵を寄せ合った。天宇受売命の舞。そして、神々の笑ひ声。張り詰めてゐた場に笑ひが生まれたとき、岩戸は開かれた。
 力づくではなく、ゆるみから、道は開ける。実りの秋。稲穂は、力まずに頭を垂れる。肩の力を抜き、今の息で、今の声で、神前に向かひ続けてゆきたい。
(歌手、兵庫・小野八幡神社権禰宜)

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