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杜に想ふ 私のお礼 神崎宣武

令和8年09月28日付 5面

 郷里(岡山県)に帰ってくつろいでゐるところに、Yさん一家が訪ねてこられた。
 Yさんは、昭和二年(一九二七)生まれで、来年には満百歳になられる。
 車椅子をお使ひで、それを押すのが長男のS君。それにYさんの義妹さんとS君の娘さん(Yさんの孫娘)が同行されてゐる。
 Yさんにお目にかかるのは、昨年の暮れ以来のことである。
 「これを、やっと清書しました」
 挨拶も早々に、さうおっしゃるところのこれとは、回顧録である。原稿用紙(四百字詰)に換算すると、百五十枚ぐらゐか。私は、御苦労様でした、と頭を下げるしかなかった。
 私がYさんととくに親しく口をきくやうになったのは、十数年ばかり前のことだ。Yさんは、夫人が体を損なはれたことから、稲作はそこそこにして野菜作りに力を注ぐやうになってゐた。その野菜作りも、出荷にこだはらず、必要とする人があれば誰彼と選ばずに渡すといふ農法であった。「家内に無理をさせずに食べていければいい」、と。そのYさんが、会ふたびに戦前の苦労談をなさるやうになったのだ。時々に記憶をたどりながら首をひねることも。「こんなことなら、日記でもつけておけばよかったかな」、とYさんがつぶやいた。私は、ぢゃあ今からでも書けばよろしいのでは、と即答したものだ。
 それから、Yさんが書き始めたのだ。そして、そのつど私にそれを見せて、「まだ、あのことがらみで書き足さねば……」、などとおっしゃる。そして、それをまた清書しようともなさるのだ。
 その回顧録の原稿を前にして、出版をはかる前に編輯作業をしなくてはならないだらう、と思った。その役目は、私がかぶるしかあるまい、と思ったことだ。
 そこで、Yさんの孫娘さんが少し緊張気味に発言した。
 「その清書を私がパソコンでいたします。それに目を通してください。それから、私にも編輯作業を手伝はせてください」
 YさんもS君も笑顔であった。
 Yさんが、またあらたまって言ふのである。
 「来年が百歳といふことで、お宮(氏神神社)で拝んでもらひたいのですが。
 それから、その後で拝殿を借りて神楽を奉納したい、と思うてをります。神楽大夫さんにも親しい人がをりますんで、受けてくれるはずです。それを、一般の人にも見てもらふことで、私のお礼としたいんです」
 まったく予期せぬ提案であった。
 私としては、祭典を承知することはできる。しかし、拝殿を使用しての神楽の公開は、私の一存といふわけにもいかず、総代長や総代会に諮らなくてはならないだらう。
 さうは答へたものの、反対もでないはず。来春を楽しみに待ちたいところである。
(民俗学者、岡山・宇佐八幡神社宮司)

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