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杜に想ふ 月見る月 神崎宣武

令和8年10月19日付 5面

  月々に月見る月は多けれど 月見る月はこの月の月
 詠み人知らずの古歌である。ここでの月は、中秋の名月(十五夜)。旧暦の八月十五日、今年は九月二十五日がさうであった。
 どうせその日は雨だらう、と、一日前に谷中(東京都台東区)の仕事場で月見をすることにした。
 古ビルの一室だが、そこから見る景色が絶景なのだ。寺町であるから、周囲に大きなビルはない。東の窓を開ければ、東京スカイツリーが望めるのである。直線距離でいへば約四キロ。ほぼ全景が展望できるのだ。月は、そのスカイツリーにほぼ沿ふかたちで昇る。
 月が昇ってくると、私は、柏手を打つ。ツクヨミさんを拝するのである。ツクヨミさんとは、月読命。私は、親しみをもってさう呼んでゐる。それは、若いころフィールドワークで農業や漁業の古い話を聞きとってゐたとき、各地で「月の出を読む」とか「ツクヨミさんに日取りを聞く」などといふ言葉に出くはしたからでもある。
 『記紀』や神話になじむにつれ、天津神の三貴子(天照大御神・須佐之男命・月読命)のなかで、月読命は少々軽んじられてゐるのでは、と思ふこともあった。もちろん、その功徳を説く説も少なからずある。また、「月読」と号する神社も京都や中部、関東・九州などにも存在してゐる。けっして、月読命がないがしろにされてゐるのではない。ただ、一般にはよく知られてゐないだけのことだらう。
 「月待ち」といふ言葉がある。民俗学者にして歌人でもあった折口信夫(明治二十年〈一八八七〉~昭和二十八年〈一九五三〉)は、月の出を待てば三尊仏の来迎を拝することができるといふ信仰があったからだらう、といふ。とくに、夜がふけてから出る月を神聖視して二十三夜待ちとか二十六夜待ちが広まった、ともいってゐる(『琉球国王の出自』他)。
 いふなれば、神仏習合のなかで月待信仰がさまざまに分化もして広まったのであらう。
  月見れば ちぢに物こそ悲しけれ 我身一つのあきにはあらねど
とは、『百人一首』のなかの一首である。古くは、『源氏物語』にも『更級日記』にも月にまつはる文章が載ってゐる。
 時代を大きく経て、大正末期から昭和にかけて、「月は無情」といふ歌が大流行もした。そのところでは、太陽よりも月の方が人々の情が投じやすかった、といへようか。
 ところで、今年の十五夜は九月二十五日。しかし、実際の満月は、二日遅れの九月二十七日。その夜を期待したが、あいにくの雨で雲間の月も見ることができなかった。
 ならば、十月の天赦日(今年は、年に六回しかない最上の大吉日)にツクヨミさんを拝することにしよう、と思ひ直したことであった。
(民俗学者、岡山・宇佐八幡神社宮司)

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