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杜に想ふ アナロジーの穴 植戸万典

令和7年11月24日付 5面

 熊蟄穴。まあ、読めない。漢文的に「くまあなにこもる」と訓ずるさうだ。七十二候のひとつで、今から少し先の十二月中旬、冬の本格化する大雪から冬至までのちゃうど半ば付近の季節を表す。
 秋の季節は東北の旅も魅力的だが、とくに今年はクマに対する警戒心が付き纏はざるを得ない。クマによる被害はこの数年来、懸念されてきたこととはいへ、これほど平地人を戦慄させるとは想像しなかった。
 ふだん我々が想像するクマは、熊本の広報マスコットだったり、英国女王の茶飲み友達だったり、リラックスしてゐたり、ハニーをハントしてゐたり、愛らしく親しまれる存在であるが、実物は有数の猛獣なのだ。人間とその猛獣の暮らす環境との関係が崩れた末に現代の熊害が起きてゐるのだらう。
 その熊害から市民を守るため駆り出される狩猟者らには頭が下がる。駆除となるとまた例によって動物愛護の念に溢れた声が喧しくなるらしいが、それはおそらくクマ側の工作活動に違ひない。もしも安全圏からのヒトによるクレームなのだとしたら、なんと無情な行為か。動物へ注ぐ愛情には満ちてゐるのに己の意に副はない人間に対してはひじょうに攻撃的な彼らは常々謎だ。
 熊について昔から謎だったのは、日本文化においてはその存在感のわりにあまり神聖視されてゐないことだ。尋常ならずすぐれたる徳のありて可畏きものを神と云ふなら、熊がさうされてもよくはないだらうか、と。
 縄文文化をよく受け継いでゐるアイヌでも熊は有力なカムイであり、そのカムイである熊を殺して魂を神々の世界へ送り返す祭りがイオマンテである。さうした熊送りの儀式は世界中のクマの生息する地域で広く見られるものだ。また朝鮮神話の始祖神である檀君の母は熊女であるし、欧洲でも古く熊は信仰と関はり、祀られたのか先史時代の洞窟からはクマの骨と壁画が見つかってゐる。世界的に見て熊のことを信仰する文化は多い。
 対して日本の信仰における熊は、やや影が薄い。もちろん『古事記』の神武東征で登場する大熊は荒ぶる神の化したものだし、東北のマタギに由来の祭りでは狩った熊の供養と山の神への感謝をするものもある。だが狐や猿、鹿などのさまざまな動物が神の使はしめとされ、ときに狸などは祭神として祀られたこともあるのに、熊は異なる。日本中に分布し、畏怖されるべき要素も持ち、胆嚢は生薬としても珍重されたのに。害獣だからだらうといふ反論も、同様に人々に恐れられた狼が大口真神として信仰されてきたことに鑑みて十全な回答とは思へない。不思議だ。
 しかれども、この世には不思議なことなど何もない、といふ。不勉強なだけで日本でも熊への広い信仰があるやもしれぬ。もしさうならこの紙幅の浪費を恥ぢるばかりだ。穴があったら入りたい。吾蟄穴。
(ライター・史学徒)

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