杜に想ふ
新春を寿ぐ 神崎宣武
令和8年01月26日付
5面
皆様、正月行事を恙無くおすませになったことだらう。
これは、「新正月」行事といふべきことである。なぜなら、もう一方に「旧正月」があるからだ。もっとも、その旧正月は、現代ではほとんど死語とも化してゐるだらう。
そして、旧正月行事は、中国での伝統、と短絡視するむきもある。たしかに、中国では、現在も旧正月はこぞっての大型連休で、乗り物は帰省客で混雑する。
十四、五年も前のことであるが、私は、その時期に昆明(雲南省)に滞在してゐた。都市部に人が少なくなる、その異常な光景を目の当たりにしたことがある。帰省する人たちは、それぞれに大きなみやげ袋を持ってゐた。なかでも、月餅の袋を手にした人たちが多かった。月餅は、月見の菓子ともされるが、正月の祝ひ餅でもあるのだ。そして、月餅を売る菓子店では、正月が過ぎると店頭からそれを外すのであった。
さて、旧正月。それは、中国独自のものではない。日本でも、長くそれを伝へてゐたのだ。
私は、昭和十九(一九四四)年生まれの高齢者であるが、小学校のころには「旧正月休み」があった。たしか、三日間だったが、日曜日が重なると四日間の連休となった。そして、その間の朝は、雑煮で祝ったものである。だが、はて、神社での行事がどうだったか。
いふまでもなく、旧正月は旧暦(陰暦)によるもので、新暦(陽暦)が普及する以前はそれを正当な正月としてゐた。つまり、明治以前は、旧正月こそが唯一の正月だったのだ。
もちろん、地方によって違ひがある。概して町場(都市部)が新暦に一体化するのが早く、村落社会に残存例が多かった。私の郷里(吉備高原上の農村部)では、昭和二十九(一九五四)年のころを境に旧正月が後退した。それは、南部の町場との町村合併と関係してのことであっただらう。
一方で、陽暦にしたがっての行事設定も古くからあった。立春(冬至と春分の中間)がさうで、それが過ぎたあたりで旧正月がめぐってくる。春が近づくころ、となるがゆゑに、「新春を寿ぐ」ことに相なるのだ。新暦での正月を祝ふやうになっても、その種の言葉を年賀状に使ふのは、旧正月での習慣を移行させたから、とみてよいだらう。
その新春を「春めき」とか「春光」ともいった。そして、花が知らせてもくれる、とした。『万葉集』の「春雑歌」にも、梅の花が多く詠まれてゐる。そして、椿の花を愛でた歌も詠まれてゐる。
巨勢山のつらつら椿つらつらに見つつ
思はな巨勢の春野を (坂門人足)
郷里の家の前庭にも椿の古木がある。暮れからずっと紅色の春を告げてゐる。旧正月のあたりの「つらつら椿」、やっと主役になったなあ、と誉めてやりたい気分になる。
(民俗学者、岡山・宇佐八幡神社宮司)
オピニオン 一覧