論説
神社本庁設立八十周年 根本的な省察が求められる秋
令和8年02月09日付
2面
令和八年二月三日、神社本庁は設立八十周年を迎へた。この節目を記念し、神社神道人挙って素直に寿ぎたいところではある。しかし、今一度立ち止まって沈思黙考する必要はなからうか。神祇関係三団体(大日本神祇会、皇典講究所、神宮奉斎会)が発展的に解消して設立された神社本庁の出発点から「八十年」といふ長い時が経過した末に「今」があるといふことを。
○ 明治維新から「八十年」後の時点は、大東亜戦争敗戦による占領期に当たり、その頃には神社本庁も発足してゐた。「八十年」に満たない日本近代(戦前)と比較した場合、現代(戦後)神社神道史の中核を占める神社本庁の歴史が、戦前よりも長い時を閲してきたといふ厳然たる事実を我々は深刻に認識しておかねばならない。
かつて本紙主幹の澁川謙一は、神社本庁四十周年記念日に当たっての論説で、当時の神社界における世代交代に触れ、「神祇関係三団体等にたづさはった創草期の人々の努力を揺籃とした神社本庁が、新しい時代に対処しようとしてゐる」と書いた(昭和六十一年二月三日付)。ここからさらに四十年といふ歳月を経たのが現時点である。
現役世代の神社神道人にとって、神社本庁の設立事情やその精神、戦後神社界における歩みはどう認識されてゐるのだらうか。先人の切実な想ひを「我が事」と直結するものとして実感し、その意義を正確に理解することが至難の業となってしまってはゐないか。
神社本庁史についてはぜひ関連文献に拠られたいが、最近では第四十一回神社本庁神道教学研究大会報告「現代の神社神道と神職団体―その出発点を考へる―」(『神社本庁総合研究所紀要』第三十号)が有益であり、本紙でも今後、関連記事を掲載予定である。
○ 『神社本廰五年史』(昭和二十六年)の「第一年史(昭和二十一年)」には、「二月二日、神祇院官制廃止、明治以降八十年の神社に関する国家管理はこの日その幕を閉ぢ、全国神社及神官神職は全部その手から切り離された。同時に神社を包括するための宗教法人令の改正令、及び関係勅令省令が公布され、本日を以て神社はそのまま宗教法人と見做されるに至つた。/翌三日、先きの設立総会のときの庁規に従ひ、神祇院の廃止の翌日たる此の日を以て神社本庁は目出度く開庁されたのである」と記述された。
「先きの設立総会」とは、昭和二十一年一月二十三日に開催された神社本庁設立総会のことである。ここにおける「神社本庁設立に関する声明決議」では、「吾等神社人は深く慮るところあり、世界の趨勢と其の将来とに鑑み、茲に全国神社の総意に基き本宗と仰ぐ皇大神宮の許に、全国神社を含む新団体を結成し、協力一致神社本来の使命達成に邁進し、以て新日本の建設に寄与せんことを期す」と宣言した。贅言を費やすまでもなく、この声明に神社本庁の設立事情と使命、その誓ひと覚悟が端的に示されてゐる。
神社本庁の行く末は、近代神社神道史並びに戦後における神社本庁史の正確な理解とさらなる厳密な検討から導き出されなければならない。とりわけ、神社神道には精神的基礎としての「国家の宗祀」といふ第一義的本質があり、「神社が自ら、私人の一宗教の類と認めることは決して許されない」(葦津珍彦『神祇制度思想史につき管見』昭和五十八年)以上、戦後神社界における課題のうちかなりの部分は、設立史の段階で胚胎してゐた。設立時における「神社連盟」案と「神社教」案との相剋、葦津が言ふ占領期の精神的「戦災バラック」(暫定制度)としての神社本庁の側面などが代表的な論点である。
○ 神社本庁十周年時の本紙社説では、「神社本庁の十年の歴史を概観するに、本庁は至難なる問題に対決しても、消極的に神社を防衛すると云ふ側面に於ては、賞讚すべき幾つかの業績を残したと云ひ得る。しかしながら、神社人の積極的なる希望と主張とを社会的に表明し実現すると云ふ点に於ては、今なほ殆ど見るべき記録をもたない。われわれは卒〔率〕直にこの弱点を認めなくてはならない」と総括した(昭和三十一年一月二十八日付)。
かかる指摘は、未だ今日においても当て嵌まりはしないか。八十周年を迎へた今こそ、我々一人一人による根本的な省察が求められる秋である。
令和八年二月九日
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