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杜に想ふ 国民の祝日 山谷えり子

令和8年05月04日付 5面

 八十八夜、そして立夏、各地で田起こしののち田に水が張られていく。
  一神事 五月の風を奉る 高木石子
 先日、参議院法務委員会で、私は「国民の祝日に関する法律」いはゆる祝日法について質問をした。占領下、すべての祝祭日が一時的に廃止となり、現祝日法は昭和二十三年に制定された。前年施行された憲法をうけて、元日・成人の日・春分の日・天皇誕生日・憲法記念日・こどもの日・秋分の日・文化の日・勤労感謝の日の九つが議員立法で祝日となった。
 GHQによる検閲もあった時代である。たとへば第一条は、「自由と平和を求めてやまない日本国民は、美しい風習を育てつつ、よりよき社会、より豊かな生活を築きあげるために、ここに国民こぞつて祝い、感謝し、又は記念する日を定め、これを『国民の祝日』と名づける」とあるが、当初の原案では、「われら日本国民は、ただしい伝統を守りつつ」とあったものの、“われら”と“伝統”を削るやう指示されたといはれてゐる。
 それでも議論が進むにつれ、世論調査もあって国民の関心は昂り、七カ月間にわたり衆参両院で六十一回の審議をへて成立した。法案の提出者は「祖国再建のために伸び行く喜びと祝ひを与へるなら……」と語られた。祝日法は、美しい国柄と和合の力あってこそ真の豊かさや自由もあることを思はせ、シンボリックで大きな意味を持つと思ふ。
 しかし、学校での祝日教育は心もとない。わが家でも「建国記念の日」を子や孫たちが教はらなかったといふので、私が教へたが、第二条に「建国をしのび、国を愛する心を養う」とあるのに、神武天皇の即位日とされたかつての紀元節や建国の詔を伝へないのは、日本人としても国際人としても淋しいことである。
 今年の四月二十九日、昭和百年記念式典がおこなはれたが、昭和の日は「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」とある。昭和二十七年四月、主権恢復時、昭和天皇は御製をお詠みになられた。
  風さゆる み冬は過ぎて まちにまちし 八重桜咲く 春となりけり
  国の春と 今こそはなれ 霜こほる 冬にたへこし 民のちからに
 八重桜を見るたび、私はこの御製と当時の人々の心に思ひをめぐらす。
 祝日法は、日本の国柄や文化、大切とされてきた価値観の理解、私たちの記憶の糸、社会理解の入口ともなる。AIやSNSの力によって、子供をめぐる環境は激変してゐる。委員会で平口洋法務大臣は、ともに社会をつくる力を育む法教育実施のため、昨年末に行動方針と中長期計画をまとめたので、今後、新たな取組みにつなげていくと答弁された。
 学校、家庭、地域社会などで趣旨が広がるやう皆で思ひをひとつにしていきたいものである。
(参議院議員、神道政治連盟国会議員懇談会副幹事長)

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