論説
昭和百年の記念式典 激動と復興の御代を顧み
令和8年05月11日付
2面
今号掲載の通り、政府主催による昭和百年記念式典が「昭和の日」の四月二十九日、天皇・皇后両陛下御臨席のもと東京・千代田区の日本武道館で開催された。
この式典は、今年が昭和元年から起算して満百年の節目の年にあたることを記念し、激動と復興の昭和の時代を顧み、将来に思ひを致す機会とすることを目的とした。両陛下の臨御、国歌斉唱ののち、式典委員長を務める高市早苗内閣総理大臣が式辞を述べ、衆・参両院議長と最高裁判所長官がそれぞれ挨拶。また、海上自衛隊東京音楽隊の演奏・歌唱により、「上を向いて歩こう」「赤いスイートピー」「川の流れのように」などの楽曲が披露された。
昭和百年にあたる今年、激動と復興の昭和の時代を顧み、将来に思ひを致すなかで、六十四年に及んだ大御代を偲び、昭和天皇の聖徳を改めて敬仰する機会にこそしたいものである。
○ 式典で高市総理は、「日本の誇るべき国柄を、未来を担ふ次の世代へとしっかりと引き継いでいく。私たちには、その大きな責任があります。今日この日を、昭和の時代を顧み、わが国の伝統や歴史の重みを噛みしめながら、将来に思ひを致す機会としたい」との思ひを披瀝。また、「昭和は、戦争、終戦、復興、高度経済成長といった、未曽有の変革を経験した時代」と指摘し、戦後、昭和天皇が全国各地を巡幸され、戦歿者・戦争犠牲者の御遺族をいたはられるとともに、戦後復興に勤しむ国民を励まされたことなどにも触れつつ、現在までの百年の歴史を回顧した。
この昭和の歴史をいかに認識するかについては、さまざまな考へ方がある。高市総理は「戦争、終戦、復興、高度経済成長」と象徴的な事象を挙げてわかりやすく概説したが、もちろん昭和戦前期の二十年間であっても決して戦争一色だったわけではなく、そこには喜怒哀楽をともなふ先人たちの血の通った日常があっただらう。さうしたことを含め、歴史には常に光と影があり、しかも、そのいづれをどれほど重視するかによって認識の相異や意見の対立が生じてくる。昭和の歴史を顧みる際にも、光と影の双方をバランスよく見つめることが重要であるといへよう。
○ 式典が開催された四月二十九日は、いふまでもなく昭和天皇の御生誕日である。昭和天皇の御即位にともなひ天長節となり、戦後は昭和二十三年制定の「国民の祝日に関する法律」によって「天皇誕生日」と名称を変へながらも国民に長く親しまれてきた。さらに平成の御代替り以降は「みどりの日」とされてきたものの、斯界を含めた各界の働きかけにより平成十七年に祝日法が改正され、「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」日として、「昭和の日」が新たに制定されたのである。
をりしもこの祝日法改正の年には、「昭和天皇記念館」が東京・立川市の国営昭和記念公園内に開館。当時、「昭和の日」推進議員連盟や同館を管理・運営する昭和聖徳記念財団の会長を務めてゐた綿貫民輔氏は本紙の取材に対し、「昭和といふ時代を冷静に振り返り、昭和天皇の聖徳を後世に伝へていくことの大切さを国民が再確認する絶好の機会になるのではないか」と述べ、「昭和の日」制定と昭和天皇記念館の開館に期待を寄せてゐたのである。
○ 今回の政府主催の記念式典に限らず、今年は各地で昭和百年を記念する関連行事がおこなはれてゐる。とくに先述の昭和天皇記念館では記念事業として、六月一日から十一月二十七日まで大規模リニューアル工事が予定されてゐるといふ(工事中は休館)。また今年は政府主催の式典開催のため実施を見合はせたと聞くが、例年四月二十九日にはNPO法人昭和の日ネットワークによる「昭和の日をお祝いする集い」がおこなはれてきた。
昭和の御代を冷静かつ真摯に顧みながら昭和天皇の聖徳を敬仰するやうな取組みが、昭和百年の節目を迎へた今年だけでなく今後とも末永く続けられることを期待するものである。加へて平成への御代替りから三十七年、「昭和の日」制定からも二十年余を経て令和の御代を迎へてゐる今、昭和天皇の聖徳を後世に伝へるべく先人たちが取り組んできたこと、その思ひを改めて確認するやうなことも大切なのではなからうか。
令和八年五月十一日
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