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杜に想ふ ニセモノの本物 植戸万典

令和8年10月26日付 5面

 諸事情あってツーリズムEXPOジャパンに参加してきた。観光に携はる企業や自治体など国内外の関係者が一堂に会する旅の総合見本市・展示会である。各ブースでは趣向を凝らした呼び込みがおこなはれ、それぞれの名産やら景勝地やらセールスポイントやらが紹介されてゐた。現代の旅は団体で添乗員に案内してもらふ手軽さだけではなく、旅行者個々の関心への訴求が重要になってゐる。
 昨今定番化した旅のひとつが「コンテンツツーリズム」であらう。映画や漫画、アニメなどのメディア作品を通じて醸成された地域固有の物語性を資源とした観光形態のことを指す。虚構の世界で描写された土地を現実で感じ、ファン同士の交流も生む旅文化だ。
 そのやうな現象は、江戸時代に「歌枕」の名所化したことにも似る。歌枕とは、和歌に詠まれた特定の地名や、それに準じたものをいふ歌語だ。歌人らは、実際に訪れなくともそれまでの歌によって共有されたイメージに列ねるやうにしてその土地々々を詠み継いできた。しかし平安中後期以降、歌枕を実際に訪ねる行動が起き、正確な位置の曖昧だった歌枕が近世には実在の場所に落とし込まれたことで各地に見どころも創出され、旅の目的として広まっていった。
 歌枕名所化には諸藩も一役買った。学者に歌枕を探させ、自領内の土地にそれぞれ比定した結果、例へば歌枕「末の松山」は東北に四箇所あるといふ。今に伝はる歌枕のひとつ「壺の碑」もさうしてできた名所だ。
 坂上田村麻呂が征夷の際、巨石に「日本の中央」の由を刻んだ石碑が「壺の碑」なのだと歌学書は云ふが、これも実態は不明な歌枕だった。それが発見されたのは江戸時代初期のこと。現在の多賀城市で、古代に陸奥国の統治の政庁だった多賀城の修造を記す古碑が見つかり、仙台藩が歌枕の「壺の碑」として比定した。『おくのほそ道』でここを訪れた松尾芭蕉は実在の歌枕に感涙してゐる。
 この多賀城碑には、都や蝦夷国界などから多賀城までの距離が記されるものの厳密には「日本の中央」のことではなく、建碑も奈良時代で、田村麻呂伝説の「壺の碑」ではないとの反論もあった。さらに多賀城碑としても後世偽作説が有力だったこともある。しかし安倍辰夫・平川南編『多賀城碑』にも見える多くの研究成果によって多賀城碑の真実性が確実視され、一昨年、国宝に指定された。
 もっとも、多賀城碑として真作であっても歌枕「壺の碑」か否かは別だ。だがそもそも曖昧な情報しかない「壺の碑」は、特定することもほぼ不可能。さうしたなかで、古歌に詠まれた歌枕の名を負ふにふさはしい存在とされたひとつが多賀城碑なのである。これも想像の世界を現実に重ねる、旅の楽しみだ。
 ツーリズムEXPOで割引券を貰ったので牛たん料理を求めて仙台へ。さういふ旅行も良い。やはり食に関しては絵に描いた餅より本物を食べたい。(ライター・史学徒)

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