論説
御神木奉迎送を控へ 令和の遷宮奉賛の形とは
令和7年05月26日付
2面
第六十三回神宮式年遷宮における諸祭の嚆矢となる山口祭と木本祭を終へ、次は六月三日に御杣始祭、同五日に裏木曽御用材伐採式、同九日・十日に御樋代木奉曳式が予定されてゐる。
このうち御杣始祭・裏木曽御用材伐採式で伐り出された御樋代の御料材である御樋代木を伊勢へと奉搬するに際しては、道中の東海各県において神社関係者も参画のもと御神木奉迎送を実施。各地で祭儀や奉祝行事が賑々しく執りおこなはれ、「太一」印の旗が翻るなか、揃ひの法被姿の人々が大勢参集して御神木を迎へるさまは壮観で、いよいよ遷宮諸祭・諸行事が始まったことを広く実感する機会ともならう。
改めて斯界が一丸となり、遷宮奉賛に向けた各種活動の充実と奉祝意識の醸成に努めねばならない。
○ 平成二十五年に中心的祭儀である皇大神宮・豊受大神宮での遷御の儀が執りおこなはれた前回の式年遷宮ののち、令和への御代替りを経て迎へる今回の式年遷宮。長期的な経済の低迷、本格的な人口減少時代への突入による地域社会の衰微などを含め、神社をめぐる社会環境が大きく変化するなかで始まったこととなる。
さうした社会環境における変化の影響は、例へば神宮のお膝元、神都・伊勢にも及んでゐるやうだ。今回の式年遷宮に際して地元では、すでに各自治会の旧神領民らが奉曳団を結成。来夏以降、全国各地から特別神領民を迎へて執りおこなはれる予定のお木曳行事、さらに遷御の儀を控へてのお白石持行事(いづれも国の記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財)の奉仕を担ふ。ただ、なかには地域住民の減少や高齢化によって、奉曳団の運営が困難となったり、経費負担が課題となったりしてゐるやうな事例もあるといふ。
かうした状況に対し、クラウドファンディングの活用、奉曳団の合同や相互協力など、さまざまな対応が検討されてゐるとも聞く。また皇學館大学の学生をはじめ、特別神領民による助勢なども考へられよう。もちろん、それぞれに個別の難しい事情などもあって軽々には論じられないのだらうが、旧神領民としての誇りのもとで両行事が盛大に執りおこなはれることを切に念願するものである。
○ 神都・伊勢におけるかうした状況は、各地の神社の氏子組織などでも少なからず見られよう。式年遷宮の奉賛・完遂は、各地の神社に伝はる祭礼行事や神事芸能など伝統文化の護持・継承においても、今後のあり方を考へる上での試金石となるのではなからうか。さうした意味でも式年遷宮は全国の神社にとって他人事ではなく、また全国八万社の包括法人として、とくに近年は氏子意識の涵養や祭祀・祭礼を通じた地域社会の活性化にも取り組んでゐる神社本庁といふ組織の底力が試される機会ともいへよう。
もとより、神宮大麻・暦の頒布、遷宮奉賛、参宮促進が本宗奉賛活動の三本柱とされ、このうちとくに神宮大麻の頒布数が教化活動のバロメーターとされてきたことなどを含め、そもそも神社本庁にとって本宗と仰ぐ神宮は格別の存在である。式年遷宮が遺漏なく斎行されるやう斯界としていかに向き合っていけるのか、神社関係者の一人一人が自らの課題として考へていきたい。
○ 振り返れば戦後、半官半民といはれた昭和二十八年の第五十九回式年遷宮ののち、同四十八年、平成五年と回を重ね、同二十五年の第六十二回まで国民総奉賛といふ形で式年遷宮が続けられてゐる。この間、戦後復興や高度経済成長、さらにバブル景気とその崩壊後の経済低迷期のもとで、社会環境は大きく変化してきた。さうしたなかで先人たちは、常に試行錯誤を重ねながら時々の式年遷宮の奉賛・完遂に尽力してきたのであり、先に少し触れたお木曳行事への特別神領民の参加などもその一つといへるのではなからうか。
いよいよ遷宮諸祭が始まり、多くの神社関係者の参画のもと御神木奉迎送が盛大におこなはれようとしてゐる今、これまでの式年遷宮を顧みて斯界における成果と課題を検証し、社会環境の変化への対応を講じながら、新たな令和の奉賛の形を摸索していくことが求められる。そのためにも、まづは皆で心を合はせて智恵を絞り、全国からの熱誠溢れる式年遷宮の実現に向けて決意を新たにする秋といへよう。
令和七年五月二十六日
オピニオン 一覧